恋愛ストーリーの原点回帰 『君に届け』はなぜ読者の心に届いたか

恋愛ストーリーの原点回帰 『君に届け』はなぜ読者の心に届いたか
     

サブカルクソ研究者。
英文学・言語学・メディア記号論を専攻。
新聞社を退職後、翻訳補助を通じて総合文化研究に携わるも、中の人がどオタクであった為に、研究対象は漫画、アニメ、ゲーム等に限られる。Twitter→@semiotics_labo

   

少女漫画は、年代ごとの世相を強く反映しています。

70年代のフェミニズム運動の最盛期に生まれた『はいからさんが通る』。
80年代の多様性社会の到来に伴い自由恋愛を謳歌した『ときめきトゥナイト』。
90年代の強い女性の時代を象徴する『花より男子』。

そして00年代の代表作『君に届け』。

拡張していくジェンダー論に対して逆風が吹き始めた連載開始当時、なぜこの漫画が読者に広く支持されたのか、その背景を見ていきましょう。

キーワードは、「女子力」です。

恋愛ストーリーの原点回帰 『君に届け』はなぜ読者の心に届いたか

キーワードは「女子力」

椎名軽穂による『君に届け』の連載が始まったのは、2005年12月13日。
それより以前の、90年代にヒットした少女漫画作品には、ある傾向が見られます。

 

引用:神尾葉子/集英社『花より男子』1巻 80頁、上田美和/講談社『ピーチガール』1巻 46頁

『花より男子』では”牧野つくし”がいじめを主導した暴君に飛び蹴りを見舞い、『ピーチガール』では”安達もも”が乙女心を弄んだモテ男に鉄拳制裁する。

女性が男性より上位に立ち、力をもって男性を制圧する、社会通念の逆転です。

1985年に男女雇用機会均等法が制定され、強い女性が活躍した90年代では、こうした胸のすくような分かりやすい逆転の描写が少女漫画の読者にも受けました。

75年開始の『はいからさんが通る』にも、ヒロインの”花村紅緒”が許嫁の男性”伊集院忍”を平手打ちするシーンがありますが、この頃はまだ男性(忍さん)が女性(紅緒)をリードしています。

それに対し、92年開始の『花より男子』でつくしに飛び蹴りをくらった”道明寺司”は、その後つくしに全く頭が上がらず、しまいには、「あたしがあんたを幸せにしてあげる」と上から言われ、将来尻に敷かれる事が容易に想像付きます。

『花男』と『ピーチガール』は、同じ年の2003年に本編の最終回を迎えます。

00年代の恋愛市場は闘争であり、「肉食」と称された女性が男性を狩る時代です。
女性はファッション資本に包摂され、戦いのリングに上がっていきました。

ところが、2005年辺りからこうした傾向に変化が起こります。

(出典:国立社会保障・人口問題研究所 『第15回出生動向基本調査』より作成)

結婚と出産に関する全国調査によると、交際相手を持たない率が、02~05年の調査を境に上昇に転じ、2015年までに男性が5割→7割、女性が4割→6割まで増えています。

独身率の上昇には、2000年から下落し始めた民間平均給与が大きく影響していると見られます。
ファイトマネーを支払えない男性が、「草食」と蔑まれながら次々とリングを降り、恋愛市場にも闘争の疲れが見え始めたのです。

この流れをいち早く察知したのが、女性ファッション雑誌でした。

00年代初頭に始まった癒しブームを皮切りに、男性受けするコーデを新たに創案。
月刊誌『VoCE』の連載・美人画報(安野モヨコ)で美容の重要性が説かれ、90年代の強い女性を象徴する少女漫画作品の連載終了と入れ替わるように、「女子力」のキャッチコピーが誌面を飾る事になります。

同じく05年には、文科省の調査でジェンダーフリー教育の歪んだ実態が明らかになり、

 

「男女共同参画の趣旨から導き出されるものではない」

引用:男女共同参画基本計画(第2次)

 

と、「女性らしさ」を押さえつける枷が外され、再評価され始めます。

 

引用元:Comee.net

『君に届け』は、強い女性像が後退し、バックラッシュ(揺り戻し)から女子力という言葉が定着した2005年にスタートしました。

前年の2004年には、戦いのリングから降壇した干物女を描く『ホタルノヒカリ』が、闘争疲れの女性から大きな共感を集め、少女漫画界にも揺り戻しの動きが起きている頃。

1人の王子様の出現が、闘争を終わらせるのでした。

現代に降り立った白馬の王子様

「王子様」は、少女漫画では古典的な記号として黎明期から用いられており、中でも最も象徴的なのが『キャンディ・キャンディ』の丘の上の王子様です。

文字通り白馬にまたがり、”キャンディ”のピンチに颯爽と駆け付ける。
その王子様も落馬して命を落とし、21世紀には非実在の抽象的概念になっていました。

そこに現れたのが、現代に降り立った白馬の王子様。

引用元:Comee.net

その名も”風早翔太”くん。

誰が呼んだか、

「冗談みたいに爽やか」
「むしろ爽やかから出来ている」
「苗字までもが爽やか」

全方位を笑顔で包み込むイケメンで、いつも周囲に気を配り、困ってる子を優しくフォローします。

風早くんの前では、肉食の闘争が起きません。
風早くんを好きな女子の間で「風早はみんなのもの協定」が結ばれ、みんなの風早くんとして、彼を中心に出来た人の輪から、遠巻きに見ています。

読者もまた風早ガールズの一員としてその輪の中に放り込まれ、闘争に疲れた心を癒されながら、彼の一挙手一投足に嘆息を吐く訳です。

『君に届け』では、人間関係を害する悪意が2巻までに除かれ、その後は登場しません。
どの登場人物も善意で出来ており、疲れさせる事をとにかくしない。

ちょうど同じ時期に、客体視を利用した「萌え」アニメが流行し、男性キャラを登場人物から消し去り、闘争を根本から無くす試みが成功を収めていますが、『君届』の場合も、風早くんを巡るドロドロの争奪戦になりかねない要因を早々に退場させたのが、当時の時勢に合っていたと思います。

「風早くんかっこいい」を心ゆくまで堪能する客体視の構造が、読者の癒しを生んでいきました。

爽子と風早くんの対等な関係

『君届』には、闘争を終わらせた人物がもう1人居ます。

引用元:Comee.net

この漫画のヒロイン、”黒沼爽子”です。

爽子は他者の気持ちを推し量らうあまり、自分の気持ちを伝えられず、クラスで孤立していました。
皆の役に立ちたい気持ちを、クラス委員の仕事を通じて、届け、届けと、コミュニケーションの壁を乗り越える努力を続けていました。

それに最初に気付いたのが、風早くんでした。
クラス全員に気を配る風早くんだから、爽子の善意に気付く事が出来たのでした。

爽子と風早くんは、双方が相手の気持ちを思い遣る、当たり前の人間関係から始まっています。

双方向のコミュニケーションは風早くん以外の登場人物にも行われており、

あたしらもう友達だったんだよ、と言ってくれた”あやね”ちゃんと”千鶴”ちゃん。
風早くんと上手くいかない時に本気で怒りに来てくれた恋のライバル”くるみ”ちゃん。
どんな時でもちづちゃんを見守ってくれた”龍”くん。
自己否定するあやねちゃんを暖かく肯定してくれた”健人”くん。
生徒の進路を真剣に応援してくれた”ピン”。

クラスメイトと会話する、ごく普通の事にびっくりして、涙する。
言葉ひとつ、メールひとつ届けるのに、相手の気持ちを考え、尊重する。

『君届』には、90年代の少女漫画に見られた女性優位の描写が存在せず、男女どちらが上でも下でもない、対等な人間関係が常に描かれています。

闘争の疲れから女子力のキーワードが生み出され、一方通行の殴り合いが見直された00年代。
爽子と風早くんが、近いのかな?遠いのかな?と距離感を測りながら、双方向に少しずつ歩み寄っていく姿は、読者に深い共感を呼び起こしました。

なかなか縮まらない距離感にやきもきする、恋愛ストーリーの原点に立ち返って、少女漫画ってやっぱり良いな、と思った方も多いと思います。

『君届』のスタートから12年が経過した現在は、多様化社会・相互理解の時代と言われています。
この漫画が伝えた大切な事は、時代を超えて、これからも読者の心に届けられるでしょう。

まとめ

『君に届け』を振り返ってみて、いかがでしたか?

この漫画がヒットした後から、少女漫画界に純愛路線への回帰が起こります。
ですが、男性が上に立って女性をリードする様子は、今はほとんど見られません。
かっこ悪い所もさらけ出し、悩みがあれば素直に打ち明けます。

お互いを認め合いながら成長していく、爽子と風早くんのような関係が、誰もが羨む理想のカップルなのかも知れませんね。

 

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