先日、「ドラゴンボールハラスメント」の記事が大きな話題となりました。
『ドラゴンボール』を読んだことのない僕が、先輩に反論するために全巻読了した結果
https://liginc.co.jp/429028
鳥山明の名作『ドラゴンボール』を読んだ事の無いアシスタントエディター(編集者)の方が先輩に勧められるがままに読了し、その結果を巡って賛否両論が飛び交う大激論に発展します。
『ドラゴンボール』の作者・鳥山明は、漫画家である以前にプロのデザイナーであり、伝えたい事を文章ではなく「絵」で表現してきた、作画の第一人者であります。
必要な情報は「絵」の中に全て盛り込まれている訳ですから、それを単なる「記号」として見てしまうと、情報の損失が生じ、伝わるはずの意味が伝わらないという齟齬が起きてしまいます。
編集に携わっている人間がこれではけしからんと、本職の漫画家の方々や読者から厳しい意見が出るのも然りでしょうか。
「絵」で伝えるとはどういう事なのか?
マンガ大賞2017で大賞を受賞した『響~小説家になる方法~』では、主人公の響の天才性を説明するのに、足蹴りさせたり、棚を倒させたりするしかなく、肝心の小説の内容で、どう天才なのかを表現する事は出来ませんでした。
漫画の世界にはたくさんの天才キャラが登場しますが、天才性の説明に「絵」を用いて伝えきった漫画家はそう多くはありません。
今回は、日本を代表する作画のスペシャリスト、浦沢直樹、鳥山明、井上雄彦のお三方の作品に登場する天才キャラの例から、一流とされる漫画家が「絵」でどのように伝えているかを解説していきます。
浦沢直樹、鳥山明、井上雄彦による天才の描き方
浦沢直樹 『Happy!』 作画だけで天才と凡人を描き分ける
大坂なおみ選手の全米オープン制覇で沸き上がった今年。
浦沢直樹のテニス漫画『Happy!』では、主人公である海野幸が女王サブリナ・ニコリッチを打ち負かし、全英オープン制覇までの道のりが描かれます。
この漫画、あまり注目こそされませんでしたが、実は凄い事をやっているんです。
海野幸のフォームに注目すると、
竜ヶ崎蝶子との初対戦(5巻)まで
テイクバックが大きく、ラケットの面を立てて打っている
ウェンディ・パーマーと初対戦(11巻)より以降
テイクバックの位置が腰まで下がり、ラケットを伏せて打っている
と、変化している事が分かります。
そして13巻以降は、コーチに就任したサンダー牛山の指導によって、他の選手より前に踏み込んで早いタイミングでボールを叩くようになり、重心が踵→つま先にかかるようになったのが、作画でちゃんと表されています。
後の19巻で牛山が解説した通り、海野の後見人である鳳唄子が得意としたライジングショット(伊達公子さんの代名詞)を、魔球ロイヤルフェニックス1号の特訓を経て習得する為のフォーム改造であった事が明らかになりますが、
ラケットを伏せて打つ水平スイングを鳳唄子から、
重心をつま先にかける足さばきをサンダー牛山から、
それぞれ習得した事が、牛山の台詞より早く作画に落とし込まれているのです。
最終的にはフィニッシュ時の左手の親指と小指が立つフォームまで、伊達公子さんそっくりになります。
一方のライバル竜ヶ崎は、体の後ろまで大きくテイクバックし、後ろから前の体重移動でボールを押し出す基本に忠実なテニスをしていますが、海外選手が相手だと、強打に振り遅れないように体重移動が出来ないまま打つ、いわゆる「手打ち」になりやすい典型的なフォームでもあります。
つまり作者・浦沢直樹は、海野を世界に羽ばたく天才、竜ヶ崎を国内に留まる凡人として、狙って描いているのです。
「絵」で伝えるとは、まさにこういう事ですね。
鳥山明 『ドラゴンボール』 前座キャラを使って天才を際立たせる
さて、件の『ドラゴンボール』です。
サイヤ人襲来編を例に取ってみてみましょう。
この漫画はよく見ないと分からないような細かな違いではなく、ナッパとベジータの身長差を描き、極めて分かりやすい視覚的なギャップを生んでいます。
「大柄」なナッパはアンダースーツを着用させず筋肉を誇張、いかにも強そうに。
「小柄」なベジータには腕組みをさせ、余裕たっぷりの振る舞いをさせる。
前座に登場したナッパは、最初の一撃で作中の強キャラ天津飯(てんしんはん)の左腕を落とすと、続く餃子(チャオズ)の自爆攻撃を耐え、天津飯の命懸けで放った必殺技・気功砲も通じないタフネスぶり。
「化物め」「奴は不死身か」とピッコロに説明させた後、その不死身のナッパをベジータが静止、どこから見ても屈強そうな大柄な男が、
「オレのいうことがきけんのかーっ!!!!!」
と一喝されただけで、怯えあがって命令に従っています。
ここで両者の強弱が明確になり、小柄なベジータの方が、化物と形容されたナッパよりも強いのだと、読者に理解させている訳です。
ポイントとなるのは、前座であるナッパの描かれ方です。
ピッコロがどんなに筆舌を尽くして「強さ」を説明しても、一目でナッパを「強そう」と思わせなければ、その後の地球側がサイヤ人に受ける衝撃は説得力を失い、「化物」「不死身」の形容詞は宙に浮いてしまいます。
実はこの一目で読者に伝えるというのが一番難しい。
鳥山明という人は、脇役・端役に至るまでキャラが立っていて、それぞれの特徴を説明ではなく、作画で表すのが非常に得意な漫画家の1人です。
例えば、『HUNTER×HUNTER(ハンター×ハンター)』の冨樫義博は、主役級のキャラデザインが細部まで洗練されているのに対し、脇役キャラは個性を出そうとした部分が他のキャラのデザインのつぎはぎに見えたりと、キャラの特徴を抜き出すのはプロの漫画家でもなかなか出来る事ではありません。
ナッパは屈強な見た目だけで「強さ」を説明しており、地球側の戦士を3人葬り去る事でそれを立証し、最後まで存在感をアピールしてから退きます。
この後に控える天才・ベジータの天地を震わせる戦いを、いやが上にも盛り上げたのが、ナッパというキャラなのです。
井上雄彦 『SLAM DUNK』 天才・桜木花道の「〇〇は俺が倒す」
最後は井上雄彦のバスケット漫画『SLAM DUNK(スラムダンク)』です。
この漫画は、天才・桜木花道が重要な試合ごとに「〇〇はオレが倒す」と宣言し、それらを有言実行する事で天才を証明する、という構成で物語が進行します。
桜木の打倒宣言は全部で5回。
そのうち最初の陵南との練習試合以外は、全て達成されています。
『SLAM DUNK』の特徴として、桜木の決め台詞の他にも、安西監督の「君たちは強い」など、ごく短い文章で湘北バスケットボール部の強さを説明し、残りの大部分を試合展開で伝えている点が挙げられます。
これは、ノーベル文学賞を受賞したアーネスト・ヘミングウェイが言う所の「氷山理論」にも通じる、井上雄彦の画力があってこそなせる技法なのです。
どういう事なのかを具体的に説明してみましょう。
分かりやすいのは翔陽戦の花形、海南戦の牧とのマッチアップでしょうか。
桜木は花形に対し「おめー(メガネ)もオレが倒す」、牧に対し「じいはオレが倒す」と試合中に宣言し、後半終了間際にこの2人からダンクシュートを決め、その後の試合の流れを湘北側に持っていく決定的な一撃となります。
翔陽戦(11巻)
(桜木)「1発でルカワを黙らしかつ翔陽も黙らす、そんなシュートが要求される……
となると…スラムダンクしかない!!」引用:井上雄彦/集英社『SLAM DUNK』11巻 61頁、65頁)
海南戦(15巻)
(赤木が桜木に対して)「いいか…リバウンドが勝負だ
オフェンスリバウンドとったら迷わずダンクに行け!! オレが許す!!」引用:井上雄彦/集英社『SLAM DUNK』15巻 56~57頁
とこのように、表題にあるスラムダンクを出す試合展開を作った後、打倒宣言をした相手から見事にダンクを決め、桜木を勝利を呼ぶ男として描いているのが分かります。
ラスト31巻の山王工業戦の後では、
山王工業との死闘に全てを出し尽くした湘北は、
続く3回戦、愛和学院にウソのようにボロ負けした引用:井上雄彦/集英社『SLAM DUNK』31巻 167頁
とだけ短く書かれていますが、これも、勝利を呼ぶ男・桜木が腰痛で愛和戦を欠場した為に、「君たちは強い」湘北チームではなくなり、元のCランクの強さに戻ってしまった事を、たったこれだけの文章で伝えているのです。
わずか数行の文章で全てを伝える事が出来たのは、エピローグに至るまでに濃密な試合展開を描いていたからに他ならず、特に2度目の陵南戦、最後の山王工業戦の桜木が試合を決定付けるシーンでは、台詞すら殆ど無く、桜木が有言実行したほぼ全てを「絵」だけで伝えています。
いやもう、桜木花道が天才というより、作者が天才でしょ。
まとめ
一流の漫画家がどのように「絵」で伝えていたのか、お分かり頂けたでしょうか。
作画は、漫画媒体を成立させる唯一の必要条件です。
ストーリーも世界観も漫画には重要ではありますが、必要という訳ではありません。
映画に音声が絶対に必要ではないのと同じで、漫画は作画によってのみ成立しますので、「絵」で伝える力が最も重視されます。
漫画における「絵」を「記号」だと割り切っていたのは手塚治虫の時代であり、その手塚は劇画に敗れ、劇画の影響を受け進化した漫画の「絵」には、盛り込まれる情報量が格段に増え、それを拾い上げる力が読者に求められるようになっています。
『ドラゴンボール』なんてまさに、「絵」で全てを伝えたお手本のような作品ですから、これから漫画を読み始める人達には是非ともお勧めしたいです。